2013/02/28

違いをください







こんにちは。
シーンと静まり返った朝早く、
隣の家の梅ノ木で、ウグイスが鳴きだしました。
ホ~・・・ケキョケキョケヨ・・・
まだ若いウグイスらしく、うまく鳴くことが出来ていませんでしたが、
それでも綺麗な声は辺りに鳴り響いていました。
あんなに小さくて何処にいるのか分からない様な小鳥に、
とても心が奪われます。

春の到来を告げる、
と言うだけではない美しい鳴き声。
櫛でとく髪の毛は無くなりましたが、
バサバサになった僕の心は、櫛でとかされる気分でございます。
清々しいウグイスフィーリングな僕のブログ、
書き終える頃にはカラスに変わってしまうかもしれませんが、
今日も少しお付合いくださいませ~
































たまに鏡を覗いた時、
自分の父親を発見することが多くなりました。
若い頃の自分は、結構母親似だったんですが、
日を追うごとに父親成分が増してきて、
今じゃ見事に父親のクローン状態。
子どもの頃によく父親が、
”お前は橋の下に捨てられてたんだよ。”
などと言う悪趣味な冗談を真に受け、
僕の本当の親は何処かの大金持ちで、
僕は何らかの事情で誘拐され橋の下に捨てられたんだ!
そして今、その大金持ちの本当の親は僕を捜しているかもしれない!
と、昭和の少女マンガの主人公気取りで、
まだ見ぬ大豪邸を夢見たりしておりました。
しかし、鏡に映った父親は、
僕の出生に大した秘密は無い事を物語っています。

僕が子供の頃の漫画やテレビドラマなどの主人公は、
実は貰い子だった!とか、
実は王子様だった!とか、
実は宇宙人だった!などと、
変わった出生のキャラクターが多かった。
故に、あの頃の子供たちも心の中で密かに、
自分にも人とは違う特別な秘密がある事を、夢想していたはずです。
また、仮面ライダーのように、
改造人間にされることを願ってみたり、
変な呪文を唱えると変身できるかもしれない!と、
色々な呪文を試してみたり、
もしかしたらテレポテーション出来るかもしれない!と、
鼻血が出るぐらい力んでみたりする子も居たはずです。
この、”居たはず”と言うのは、
こんなこと恥ずかしくて誰も口に出して言いませんから、
未確認と言う意味の”居たはず”なんです。
でも、何故このような例え話がすらすら出てくるかと言うと、
全て自分が子どもの頃に夢想したり、
試したりしていた事だからなんですよね~^^
・・・・。
サナギマンがイナズマンに変身するように、
あの頃の僕は、何か別の者になりたかった・・・
それはヒーローに憧れていたのではなく、
現状に満足していなかったんでしょうね。





































子供の頃、
毎日毎日、飽きる事無くテレビを観ていました。
そこに映っている世界は華やかで、
その中の人々はお洒落な装いで、
理想的な生活を送っていました。
いや、
そう、見えていました。
だから、奈良の田んぼだらけの田舎にある我が家は、
古臭くて、
虫だらけで、
暗かった。
あまりにもテレビの中と自分の生活が違いすぎる。
だいたい田舎すぎて、子供が遊ぶしゃれた公園すらありません。

テレビとかぶるようなものが近くに全く無かった。
けれど、その中でもがいていた僕。
時代は70年代です。
その当時流行っていたお気に入りのパンタロンは、

背が伸びてくるぶしがすっかり見えてしまい、
その上、
膝が破れたので親にヒザあてが縫い付けられていました。
薄い水色のパンタロンなのにまっ黒いヒザあて・・・
センスのかけらもございません。
でも、髪型ぐらいなら自分で何とかできます。
70年代のお洒落な髪型はロングヘヤーでございました。
ヒデキも、ゴローもみんなロンゲ。
僕も断固として散髪に行かず、
髪の毛を許される範囲で伸ばしました。
しかし、子供ですから、
道を歩けば、女の子に間違われ、
同級生にはオカマと言われ、
近所のおばさんが、
前髪が長すぎて目に悪いから少し切ってあげると言われ、
まかせたらおもいっきりオンザ眉毛に前髪だけ切られてしまい、
まるでお菊人形の出来損ないみたいになった事もありました。

あぁ~、
まだ見ぬ大富豪の本当の親が、
新しいパンタロンを持って迎えに来ないかな~
あぁ~、
ショッカーに捕まって改造されないかな~
あぁ~、
赤い鳥の歌みたいに、
背中に白い翼でも生えないかな~






































無理と分かっているから、非現実的なものを求めてしまう。
だいたい、子供の内に改造されたら、
ず~っと子供のままだし、
背中に翼が生えるんだったら良いけど、
間違って両手が翼になったら、
スプーンすら持てないだろうから、
かなり不便です。

あの頃、テレビの世界と僕の世界の一番の違いは、
母親が居なかった事でした。
現在では良いか悪いかは別として、離婚している家庭は多ございますが、
あの頃の、特に田舎では親が離婚している家庭は少なかった。
それに、田舎社会は特に離婚を許さなかったんですよね~
日本が急激に近代化していたその頃、
時代と共に村社会は変わらなければならないんですが、
田舎故に中々変えられなかったんでしょうね。
そして、
僕の母親も、もがいていたんでしょうね。


時間が過ぎて、
今、鏡に映っている親父成分だらけに見える僕の顔には、
写真でしか見た事のない母親の、年齢を経た今の母親成分も、
僕の顔に見て取れるんだろうか?

母親は翼を得て何処かへ飛んで行ってしまい、
父親ももう居ない。

飛んで行きたかったのは僕のほうなのにね~

随分大人になってから教えられました。
僕には異父兄弟が居るらしく、
この世に会った事の無い弟が2人いるらしい。

あぁ~、
僕にもちょっとだけ秘密があったのね。









こちらのブログで絵を描いたりしてます。

よかったら観て下さいませ~


Dark Blanco



http://darkblanco.blogspot.jp/





翼をください 赤い鳥








2013/02/22

洟そうそう






こんにちは。
いつまでも寒い今日この頃。
梅の花が咲き出したりするから、いよいよ春か!?
と、期待値があがったところに、
いきなり氷点下・・・
天気予報やなんかでよく聞く、”暦では春ですけど”ってセリフ、
うんざりです。
2月は春じゃない。
ちっとも春じゃない。
まったく春じゃない。
もうこのセリフは使用禁止にしてほしい。

寒さでイライラな今日この頃、
何だか鼻がムズムズ、
鼻水ズルズル・・・
ちっとも春らしくないのに、
一足早く鼻に春が訪れている僕のブログ。
ティッシュの花を片手に、
今日も少しお付合い願います~




































僕が花粉症になったのは19歳の頃。
それは1980年代中頃の事で、
その当時、世間でも花粉症が話題になりだしていました。

あの頃の僕は、
急に襲い来るくしゃみの連打に疲れ、
猛烈に襲い来る眼の痒みに視界は奪われ、
永遠にあふれ出る鼻水に呼吸を遮られ、
初春のこの時期、
僕は何時もボロボロでございました。
しかし、
歳を経るごとに症状は軽くなりだし、
今では鼻水がツツーッと、垂れるだけ。
体質が少しずつ変わったんでしょうね。
田舎でスクスクと育った健康的な僕だから、
アレルギーなんて無縁だと思っていました。
なので、花粉アレルギーだと分かった時は結構驚きました。
しかしその後、
猫を抱くと、花粉症と同じ症状が出ることに気付き、
ユスリカという蚊にもアレルギー反応が出ることも判明。
他にも、食事した後にふと気付くと、
手の指にプツプツと何やらアレルギー反応が出ていることもしばしば。
去年の夏には日焼けオイルでもアレルギーが出たし・・・
なんだ、
僕ってアレルギーだらけだったのね。






































僕が小学生の頃、
冬の寒い時期の服の袖はカピカピでございました。
その頃は、今のように携帯用のティッシュなど無く、
ちり紙を数枚畳んで親に持たされていました。
何時もそのちり紙をポケットに入れて持ち運んでいましたが、
ちり紙ってポケットの中でケバケバになるんですよね~、
だから、それが嫌でついつい忘れがちになる。
ハンカチなんかも、いつの間にか何処かへ行ってしまうし・・・
となれば服の袖しかない。
その当時、僕の通う小学校は黒いスモッグが制服でした。
制服が黒かったせいで、黒いスモッグの袖は、
ナメクジが這った後のようにヌラヌラと照かっておりました。
でも、ちょっとお金持ちの家の子の袖は何故か綺麗でしたね。
変えの制服が何着かあったんでしょうね。
僕の家では、今着ている制服が駄目になるまで、
新しいのは買って貰えませんでした。
だから制服の洗濯も週に1回になる。
お金持ちの綺麗な袖に憧れて、
月曜の朝、絶対に鼻水を袖で拭わないぞ!
と、硬く心に決めるんですが、
いつの間にか知らずに鼻水を拭っていたんでしょうね、
帰る頃には袖はカピカピでございました。

あの頃の鼻水って、
今の様な花粉による透明な鼻水じゃなかったんですよね。
あの当時のはちょっと黄みがかっていて、
青洟と呼ばれてました。
当時、高度成長期ではございましたが、
いわゆる良いもんを食べてる子供は少なかった。
育ち盛りでしたが栄養が足りた食事を皆が出来てはいませんでした。
故に、色々と感染症にかかっていたんですよね。
あの青洟は感染症と戦った白血球の死骸なんだそうです。
だから、青洟を垂れている子は栄養が足りてなかったんですね~
そんな青洟も、中学に上がる頃に出なくなりました。
でも、一人だけ中学生になっても青洟をたらしている子がいました。
その子は、
”自分の家は金持ちだ!”
と、事あるごとに自慢していたんですよね~
そんな彼が僕は苦手でしたが、
今から考えると、色々あったんだろうなと想像して、
何だか悲しくなりました。
































今では、青洟を垂らす子供は殆どいないんですね。
それはとても良い事なんだけど、
不意に青洟垂らして外を走り回る子供を探してしまいます。
記憶にある過去の風景を、ついつい求めてしまうんでしょうね。

寒い冬に小学生が歩いていると、

思い出は遠くあせても  おもかげ探して

よみがえる日は

洟そうそう~♪












こちらのブログで絵を描いたりしてます。

よかったら観て下さいませ~

Dark Blanco

http://darkblanco.blogspot.jp/





涙そうそう BEGIN