2013/03/29

いい日髪絶ち






こんにちは。
シトシトと春雨が降ったり、
桜の花びらが舞ったり、
ウグイスが鳴いたりして、
僕の近所はすっかり春模様でございます。
おまけに家の近所の高校が、
春のセンバツで甲子園に28年ぶりに出場!
が、しかし、
残念ながら桜散る・・・
咲いた桜は、やがて散ってしまう。
永遠とは、
ずうっと咲いている事ではなく、
咲いては散り、そしてまた咲くことなんでしょうね~
僕の人生は何回かは咲いたんだろうか?
髪の毛は確実に散っているので、
少しは咲いていたのかもしれない中年桜な僕。

散ればこそ いとど桜は めでたけれ

とは思えない、自分の桜(髪の毛)に未練たらたらな僕のブログ、
ハラハラ落ちる花びらに、涙が少し混じってますが、
どうか少し、お付合いくださいませ~




































今の僕のヘヤースタイルは、
超ショートヘヤー。
誰が見てもただの坊主頭。
桜が散るたび長さが短くなってきました。
薄い桜がまばらに伸びると、
鏡の中の僕は非常に老けて見え、
自然の摂理に無常を感じてしまいます。
こんな頭であれば、
自分でバリカンを使えば刈ってしまえるんですが、
何だかそれも悲しいので、
時々散髪屋で、ハサミで時間をかけて切ってもらっています。
僕が通っているのは、いわゆる理容室。
町の床屋さんです。
子どもの頃、父に連れられてこの床屋に来ていました。
子供の僕はすぐに刈ってもらえるんですが、
父は髭も剃るので時間がかかります。
普通なら父を待つ間は退屈してしまうんですが、
床屋には漫画や雑誌がたくさんあり、
家で漫画などあまり買ってもらえなかった僕には、
床屋に来て漫画を読むのが唯一の楽しみでありました。
その当時、大変人見知りをする子供だった僕。
人に髪の毛を触られるのはすごく恥ずかしかった。
しかも自分よりかなり年上、
父親と同年代のような大人の人だと余計に緊張していました。
でもある日、そこの床屋に少し若い人が雇われまして、
若い客や子供の客はその人が刈ってくれることになりました。
その人は、今思えば多分20代前半ぐらいだったでしょうか。
少しでも歳が近い人に切ってもらうのは、
人見知りの僕にはなんとなく気分が落ち着いて、
その人であれば緊張しなくなりました。
その人は僕の顔剃りをする時、
シェービングの泡を少し指にとって、
ちょこんと僕の鼻の上に乗せるんです。
子供の僕はそれが可笑しくて、それをされるたびに笑っていました。
いつも、いつもその人は、泡を鼻の頭に乗せてくれて、
いつしかそれは僕の楽しみになっていました。
でもある時、
その人は居なくなり、
鼻の頭に泡を置かれることは、二度とありませんでした。
彼は自分の店を開く為、
旅立っていったそうです。



































時は過ぎ、
僕が高校生ぐらいになると、
奈良の田舎にもお洒落なヘアーサロンなどが出店しだし、
色気の出てきた僕も床屋に行くのを止め、
ハイカラなヘヤーサロンに行くようになりました。
しかし、
根本的に人見知りが直って居たわけではないので、
ヘアーサロンで年上の女性に髪の毛を切られるのは、またしても緊張。
しかもお洒落な店内は非常に落ち着かない。
一番のショックは、
髪の毛を洗うのに上向きで洗うことで、
顔の上に、タオルや紙を置かれるのがなんとも変な感じ。
痒いところは無いですか?と、問われ、
なっ、ないですっ!と、どもりながら返事をし、
どもったことで自己嫌悪。
はぁぁ~、
ちっとも居心地がよくない。
だからと言って、もとの床屋に帰るのは、
何だか浮気をしたみたいで帰りづらい。
結局、
自分に合うヘアーサロンを求めて、
長い長い旅がはじまりました。

ある時は、
リック・アストレーの写真を持って来た僕を、
超上から目線の小バカにしたような顔で僕の髪を切った、
いけ好かない店員のいたあの店・・・
またある時は、
何故か20分も延々とマッサージし続け、
ヘトヘトになっていた新人シャンプー娘がいたあの店・・・
そして、またある時は、
僕の長い髪の毛にドレッドパーマをあててくれ!
という僕の注文に、
4時間ぐらい格闘してくれたあの店・・・
そんなこんなで、
いつしか、一つ処に落ち着かない放浪生活が当たり前になっていました。
しかし、
放浪生活が出来るのも若いうちだけ・・・
ハラハラと桜の花が散るように、
前方から陽が当たり出し、
父親の薄口頭を観ながら育った僕は、
終わりの始まりを、鏡の中で見付けてしまいました。

憂き世になにか 久しかるべき

この世に永遠なんてものはないんだよ~と、
引きつる笑顔、
春の空~





































大阪での一人暮らしを止め、
奈良に帰ってきた僕。
久々に懐かしの床屋に行ってみると、
店主の息子さんである、僕の三つ上の先輩が店に立っていて、
僕の長い長い放浪の旅も、ようやくここで終りそうです。
しかし、
日に日に薄れ行く髪に合わせて、
短く刈り込まれる私の髪の毛。
切ってから2週間もすると、
なんとも無残な感じになって来る。
2週間に1回床屋にゆくわけにも行かず、
時々バリカンで自分刈り。
この間、自分で刈った時、
襟足にばっちりバリカン跡がついている事に気付かず、
4~5日恥ずかしい襟足で過ごしてしまいました。

髪の毛に関しての僕の旅は、
完全に散ってしまわない限り、終わりそうに無いみたいです。














いい日が何時なのか分からないまま、
旅を続けている、
なんとも惨めな髪の旅話しにお付き合いくださいまして、
誠にありがとうございました。
ついでと言っては何ですが、
こちらで絵を描いたりしています。
ちょこっと覗いてみてくださいませ~

Dark blanco







2013/03/22

決戦はフンニョウ日






こんにちは。
チータの365歩のマーチよろしく、
暖かい日が三日続いたかな~と思ったら、2日寒くなる、
行ったり来たりの3月も、もう後半。
ちらほらと桜の花が咲き出して、
世の中の雰囲気も少し華やかになって来ましたね。

先日、大阪にある有名建築家がデザインした大きな本屋さんでの事。
本屋に行くとついつい催すあれがありますよね。
小が1番で大が2番としますと、
だいたい本屋で頻繁に催されるのは、決まって2番でございます。
さっそくトイレに駆け込みまして2番をし、
今時のお洒落なトイレには常設になって来ている温かい噴水で洗浄。、
しばらく噴水を堪能し、
もういいかと”止”のスイッチを押したんですが、
あら?!止まらない。
何度もスイッチを押すんですが、
止まらない。
立ち上がると止まるのかと思い、軽く便座からでん部を離してみるも、
止まらない。
あきらかに故障している。
我が家のトイレには噴水は無く、
こういう経験をしたことのない僕には対処法が分からない。
電源を抜けばいいのか!と、気づく頃には、
噴水の水はすっかり冷たくなっていて、
その時サーモグラフィーで僕の身体を見たら、
2番出口だけ真っ青だった事でしょう。
下品な話で初めてしまった僕のブログ。
どうかあきれたりしないで、
今日も少しだけお付き合い下さいませ~





































規則正しい生活をしている人は、
2番もだいたい決まった時間にやって来る。
で、
規則正しくない生活をしている僕には、
2番も規則正しくなく、
気まぐれに僕を襲います。

僕はよく写真を撮るために山などに行くんですが、
そんな時によく気まぐれ2番に襲われます。
ある時、
人があまり来ない遺跡で写真を撮っていましたら、
いきなり2番がやって来たことがありました。
幸いその遺跡の駐車場の傍らにはトイレがあり、
急いで駆け込んだんですが・・・・
酷い。
酷すぎる。
文字に出来ないおぞましさ。
どうやったらあんな事に・・・!
2番出口のドアを叩いていた僕の2番は、
目の前のドアの向こう側の光景に恐れをなして、
奥に引き返してしまうほどの、酷いありさまでありました。
あそこでやるくらいなら、
その辺の物陰でやる方がよっぽどましであります。

また別の日、
ダム湖にて写真を撮っていたときの事。
そのダム湖沿いの道ではウォーキングしている人によく出会います。
その日も僕がダム湖沿いで車を走らせて、駐車出来る場所を探していると、
一人のマダムがとても早足で僕の車の前をウォーキングしていました。
僕の車はその人を追い越し、
そこから100メーターほど先で、ようやく駐車スペースを見つけました。
そこに車を駐車し、カメラを持って今来た道を戻る感じで、
写真を撮りながら歩き出した僕。
来た道を戻るわけだから、さっき追い越したマダムとすれ違うはず。
ですが、いくら歩けど誰ともすれ違わない。
なので、僕はその早足のマダムのことをすっかり忘れていました。
そのダム湖は、
道沿いの森を抜けないと湖畔に出る事が出来ません。
僕は水辺の写真を撮ろうと思い、道からそれて森の中に入りました。
森の木々は鬱蒼と茂っており、昼でも少し薄暗い。
人は誰もおらず、鳥の鳴き声と木の葉の擦れる音がするだけ。
なかなか水辺に出れないな~と、薄暗い前方を見ながら歩いていますと・・・
何やら周りの景色とは異なる白いものが、20メートルほど先の地面近くに見えている。
ん?何だろう?
不法投棄のゴミかな?
それにしてはそんなに汚れている風でもないな~
人というのは、前方に正体不明の物があると、
知らず知らずの内に忍び足になるものですね。
まぁ、どうせゴミか何かだろうと思いつつ、
それでも僕はそぉ~とその物体に近づいて行きました。
そして、その白い物まであと5メーターという所で、
それが何なのか僕はようやく理解しました。
それはさっき追い越した、
すれ違うはずのマダムのでん部でございました。
マダムの早足はウォーキングの為ではなく、
どうやら2番を催していたみたいです。
一瞬で凍りついた森の中。
後ろ向きのマダムも背後に人の気配を察知したらしく、
振り返りもせず息を殺している様子。
僕もビックリしてしまい、息を殺して回れ右し、
急いでもと来た道を静かに戻りました。

静かな湖畔の森の影から
かっこうの悪い二人が泣いていました。






































小学生の頃、
学校のトイレで2番をすることが非常に怖かった。
僕の世代は、トイレの恐怖と言えば、
花子さんではなく、赤いはんてんを勧める声でございましたが、
どちらかと言うと、怖いのは同級生でありました。
休憩時間にトイレで2番をしているところを見つかると、
その中にいるのが誰であろうと、
野次られ、
ドアを叩かれ、
上から物を投げ込まれる。
何故に・・・?
今の小学生もそうなんだろうか・
なので小学生の僕が2番をする時は、
なるべく人があまり使わないトイレでするようにしていたんですが、
そういうトイレって暗~いんですよね。
すると僕はたちまち、赤いはんてんの話を思い出し、
後ろを振り返る事が出来なくなり、
本来の目的である2番が怖くて出なくなる。
故に学校のトイレは大嫌いでありました。

時は過ぎ、二十歳過ぎで大阪で一人暮らしを始めた僕。
最初に住んだのは大阪の我孫子という街で、
そこのJRの線路沿いにある古いアパート。
一見は小さな旅館風な、入り口で靴を脱ぐタイプで、
一部屋が4畳半の典型的なボロアパートに、しばらく住んでおりました。
当然、お風呂はございません。
そして、これまた当然のごとくトイレは共同だったんですが、
このトイレがまた酷い。
1番用の小便器が2つと、
2番用の個室が2つあったんですが、
この2つの個室の照明が非常に暗い。
見ると、個室の天井に26Eの電球用のソケットがあり、
そこに4ワットぐらいの電球が一つ点いているだけ。
今時のLEDであれば4ワットでもかなり明るくなるんでしょうが、
20数年前のボロアパートについている4ワットの白熱電球。
4ワットでは自分の手すらはっきり見えない。
こんな電球って点けてる意味があるのか?!
僕のその疑問に答えるかのように、もう一つの個室は、
その4ワットの白熱電球すら抜き取られ、
僕が住んでいる間、
その個室に明かりが灯ることは一度もありませんでした。


そんな事を思うと、今のトイレは楽園でございますね。
便座カバーはかってに開いたりするし、
ボタンを押さなくても流れたりする。
便座は低温火傷しそうなほど温かいし、
音楽が流れたりもする。
これからも日本のトイレには進化して行ってもらいたい!
例えば、
でん部が痛くならないような柔らかい便座や、
停電しても使用できるシステム、
そして、男性が朝に苦労しないで1番をできる様式便所の新しい形とかね・・・・












































ほぼ毎日やって来る2番。
近くにトイレがない時に限って襲い来る脅威。

ある時、家に帰る電車の中で2番に襲われた事があります。
2番が僕の2番出口のドアを叩き、
その度に全身の毛穴が粟立って、額に嫌な脂汗が出る。
必死に戦う僕の集中力と2番出口。
ようやく自分が降りる駅に着き、駅のトイレに入ると・・・紙がない!!
しかも、そんな時に限ってポケットティシューも持ってない。
家までは早歩きで3分。
僕の2番出口に気持ちを集中し、許せる範囲で早歩き。
度々襲い来る波に何度も全身が粟立ち、
ようやく前方に我が家が見えてくる。

近づいてく ふくれた2番出口を もうすぐ飛び出す
”ダイジョウブ” 3回つぶやいて ぐっと飲み込む

ようやく家のドアにたどり着き、
鍵をもどかしげに鍵穴に差し込んで回す。
あと少し!
うっ、ヤバイッ!
靴を脱ぎ捨て、あと少し!


近づいてく 近づいてく

押し出される

あぁぁぁぁ~~~♪










下品な話にお付き合い下さって、
誠にありがとうございます。
ついでにこちらの方も、付き合ってみて下さいませ~



Dark Blanco